根室地方の畜産で特筆すべきは開拓使による根室牧場が設置されたことだ。1874(明治7)年、根室地方の調査に赴いた開拓使御雇地質兼鉱山師長であったライマンは、開拓使顧問ホーレス・ケプロンに提出した報告書で、根室半島の地勢、気候は牧場には好適の土地であると指摘した。
開拓使は、試しにこの地にカムチャッカ産のクローバー、およびチモシーの牧草二種を播種した。結果、生育がきわめて良好だったので、厚岸やその他に放牧していた牛馬を集め、西洋農具牧畜器械などを備えて、開拓使根室牧畜場を開設した。牧畜場は、根室半島の中央部に位置し、半島のほぼ2分の1の面積を占めた。
1876(明治9)年に七重勧業試験場から緬羊や国産牝牛と洋種の牡牛が移され、1878(明治11)年にも七重勧業試験場から短角種牛が移されている。この頃はじめて牛乳を販売したとされているが、一日の販売量はわずか8~9升であったという。
1882(明治15)年に廃使置県が行われたあとは、牧場の管理は農商務省、北海道庁へと移り、1887(明治20)年には、鹿嶋万兵衛に払い下げられ、1890(明治23)年には、和田屯田兵村に譲渡されて共同牧場となった。和田屯田兵村共同牧場も、1894(明治27)年には、当時の豪商・山県勇三郎に譲渡され、その財力と管理力で積極的な牧場整備が行われた。さらに、牛馬の改良養殖をはかり、牛酪練乳製造も開始している。