飛行機で根室中標津空港に近づくと、根釧台地の上に整然と配された人工的な林が目に映ります。碁盤の目のように交差して広がる「格子状防風林」です。林帯の幅は約180m、格子一辺が約3km、総延長は648km、標津町・中標津町・別海町・標茶町にかけて広がり、かつてスペースシャトルから送られた画像にも格子模様がはっきりと映し出されるほどのスケールです。
日本最大級の防風林によって区画された酪農景観が広がる根釧台地は、約百年前までそのすべてが大森林に覆われていました。この酪農景観誕生のきっかけは、明治時代末期から本格的に始まる根釧台地内陸開拓でした。明治30年代に根釧台地への入殖者を募るために設定された殖民区画に対し、全国から多くの人々が移住し、開拓の鍬を入れていきます。森を拓いて畑を耕し、ソバや豆などを育てる穀菽農業(こくしゅくのうぎょう)が進められましたが、昭和初期の度重なる冷害に阻まれ、思うように定着できず、住民生活は困窮を極めていきました。この状況を打開するために見出した結論が、鮭鱒資源の減少をきっかけに既に海岸部で漁業者が定着させていた、畜産農業を軸とする農業への転換です。そしてこの時に見出された畜産農業のスタイルが「酪農」でした。この方針により、根釧台地の農業は、穀菽農業から酪農へ大転換していきます。この酪農への転換を強力に進めたのが、農地開発国家プロジェクト「根釧パイロットファーム事業」でした。機械化、大規模化により農業の近代化を強力に押し進めたこの国家プロジェクトをきっかけに、根釧台地開拓は急速に進み、広大な酪農景観が大地の上に広がっていきました。
根釧台地にいまも残る「根釧パイロットファーム関連文化財群」(別海町)や「根釧台地の酪農建造物群」(別海町・標津町・中標津町)は、内陸開拓の成功を物語る資産群です。そして開拓の成功により、かつて図上で設定された殖民区画が広大な大地に浮かび上がります。それが巨大な緑のグリッド「格子状防風林」なのです。