鮭の聖地エコミュージアム構想12のエピソード

Episode06 歴史上最初の日露外交交渉ラクスマン来航と高田屋事件

寛政4(1792)年、ロシア使節アダム・ラクスマンらが根室に来航し、歴史上最初の日露交渉が行われました。その後文化8(1811)年には国後島に上陸したディアナ号艦長ゴローニンが松前藩により捕縛、翌年には根室地方の場所請負人・高田屋嘉兵衛がロシア側に拿捕され、日露関係は緊迫します。しかし嘉兵衛が日露の架け橋となりゴローニンは解放。この日露外交史の第一幕は重要な歴史として今に語り継がれています。

1792年にアダム・ラクスマンらが大黒屋光太夫ら日本人漂流民3名を伴って根室地方に来航しました。当時、外交上の重要な事項はこの地域にいた松前藩の役人では判断できず、幕府の回答を待つことになりました。その間の約8ヵ月、ラクスマンらは現在の根室港に滞在し越冬しています。この時、松前藩士らは、ロシア人の生活の様子を細かく絵図や文字で記録しました。ラクスマンらが乗ってきたエカテリーナ号や船長の姿は「俄羅斯舩之圖」「ワシレイラフロウ之圖」に描かれ、ほかにもロシア人が建てた小屋の内部の様子や所持していた道具など、多岐に渡る絵図が残されました。

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俄羅斯舩之圖(提供:根室市教育委員会)

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ワシレイラフロウ之圖(提供:根室市教育委員会)

ラクスマン来航から14年後の1806年、根室港を望む地に社が創祀されます。現在の根室「金刀比羅神社」の前身となるこの社は、当時根室地方の場所請負人となった高田屋嘉兵衛により創祀されました。嘉兵衛は択捉航路開拓など地域の漁場整備に尽力しましたが、文化7(1812)年、国後沖でロシア船に拿捕され、カムチャッカ半島へと連行されます。前年にロシア船ディアナ号艦長ゴローニンを松前藩が捕縛したことに対するロシアの報復行動でした。この時、嘉兵衛は持ち前の器量でロシアと松前藩の仲立ちをし、自らとゴローニンの解放を導き、緊迫した日露関係の和解に成功します。現在の根室市街は、ラクスマン来航や高田屋による社の創祀など、この時代に拓かれた港から発展し、全国・世界とつながる港町へと成長していきます。明治21(1888)年から続く「根室金刀比羅神社例大祭」は、根室市全市をあげて開催される盛大なものであり、神社と地域の強い結びつきを象徴する行事となっています。

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金刀比羅神社

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金刀比羅神社例大祭(提供:根室市教育委員会)

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俄羅斯舩之圖(提供:根室市教育委員会)

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ワシレイラフロウ之圖(提供:根室市教育委員会)

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金刀比羅神社

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金刀比羅神社例大祭(提供:根室市教育委員会)