鮭の聖地エコミュージアム構想12のエピソード

Episode04 根室海峡チャシ跡群

「チャシ跡」とは中世~近世の頃のアイヌの祖先が残した遺跡です。「砦」として解釈されることが多いですが、近年の調査研究では、神々と交信する場としての役割が本質にあり、時代ごとの社会状況の変化に伴い、祭祀の場、チャランケ(談判)の場、資源管理のための見張場、戦闘の砦など、多様な役割を担うようになったと考えられています。根室海峡沿岸は北海道の中でも特にチャシ跡が多く残る地域の一つです。

北海道で確認されている500以上のチャシ跡のうち38%が根室・釧路地方に集中し、特に根室半島部には32ヵ所、標津町域には15か所のチャシ跡が確認されています。北海道各地のチャシ跡の多くは、河川の中流域で、川と川の合流点付近に残されるものが多いです。これは当時、川を交通路とした暮らしが主流であったため、川筋に形成された村(コタン)のそばにチャシ跡が築かれたからだと考えられています。一方、根室海峡沿岸のチャシ跡の多くは、川の河口付近で、海に面して設けられています。根室海峡沿岸では、暮らしの中で海が重視され、湊をつくりやすい河口付近に村が形成されたためと考えられています。

根室地方の中でも特にチャシ跡が数多く残された根室半島では、海底火山の噴火によってできた険しい自然地形を活かし、多くのチャシ跡が築かれました。根室市内には「ヲンネモトチャシ跡」(根室市)、「ノッカマフチャシ跡」(根室市)など32か所のチャシ跡が地表からわかる形で現存しており、このうちの24か所が一括で「根室半島チャシ跡群」として、1983(昭和58)年と1984(昭和59)年に国指定史跡に指定されています。

04-1-根室半島チャシ跡群(ヲンネモトチャシ跡)(提供_根室市教育委員会)-min

ヲンネモトチャシ跡(提供:根室市教育委員会)

根室半島のほかにも、海峡沿岸一帯には、「タブ山チャシ跡」(標津町)、「タチニウス川北岸チャシ跡」(羅臼町)、「ホニコイチャシ跡」(標津町)、「望ヶ丘チャシ跡」(標津町)、「床丹チャシ跡」(別海町)など多数のチャシ跡が残されています。そしてこれらチャシ跡の近くでは、古代の竪穴住居跡くぼみも確認できます。時代の異なる竪穴とチャシ跡が、同じ区域に残されているのです。このことから、竪穴が築かれた古代から、チャシが築かれる中世~近世に至るまで、人々が遺跡のある河川河口付近を湊として暮らし続けてきたことが読み取れます。

根室海峡沿岸のチャシ跡から見晴らす眺望は、かつてここに暮らしたアイヌの祖先たちの、海に根差した生活空間でもあるのです。

04-2-ノッカマフ1号・2号チャシ跡(提供_根室市教育委員会)-min

床丹チャシ跡(提供:別海町教育委員会)

04-4-タブ山チャシ跡(提供_標津町教育委員会)-min

タブ山チャシ跡( 提供:標津町教育委員会)

04-7-タチニウス川北岸チャシ跡(提供_羅臼町教育委員会)-min

タチニウス川北岸チャシ跡( 提供:羅臼町教育委員会)

04-1-根室半島チャシ跡群(ヲンネモトチャシ跡)(提供_根室市教育委員会)-min

ヲンネモトチャシ跡(提供:根室市教育委員会)

04-2-ノッカマフ1号・2号チャシ跡(提供_根室市教育委員会)-min

床丹チャシ跡(提供:別海町教育委員会)

04-4-タブ山チャシ跡(提供_標津町教育委員会)-min

タブ山チャシ跡( 提供:標津町教育委員会)

04-7-タチニウス川北岸チャシ跡(提供_羅臼町教育委員会)-min

タチニウス川北岸チャシ跡( 提供:羅臼町教育委員会)