鮭の聖地エコミュージアム構想12のエピソード

Episode02 鮭の聖地一万年の源流 標津遺跡群

標津町に残る「標津遺跡群」は日本最大の竪穴住居跡群です。根室海峡に注ぐポー川・伊茶仁川流域を中心に約4,400もの竪穴が窪みで観察できます。一万年にわたって人々が暮らし続けたこの遺跡の顕著な特色は、どの時代の竪穴を発掘してもサケ科魚類の骨が多量に出土することです。海と山とを往来して地域の生態系と深くつながる鮭は、食料や交易品として、あらゆる時代で人間の暮らしとも密接につながっていました。

鮭が遡上する幾筋もの川を有する根室海峡沿岸。そのなかでも古代から鮭を求めて人々が集まったのが「標津遺跡群」です。約一万年前の縄文時代から、途切れることなく人々が暮らし続けたことで、日本最大の窪みで残る竪穴住居跡群を形成しています。

標津遺跡群とは、主に伊茶仁川、ポー川流域に分布する竪穴住居跡群の総称です。遺跡群のうち「伊茶仁カリカリウス遺跡」、「古道遺跡」、「三本木遺跡」の3つの遺跡が、国の史跡として指定されています。

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残雪で竪穴の窪みがわかる伊茶仁カリカリウス遺跡(提供:標津町教育委員会)

遺跡群全体で確認されている竪穴の数は、4,400を超えています。これほど多くの竪穴が残されたのにはいくつかの理由があります。一つは遺跡群周辺で無数に湧き出ている湧き水の泉の存在です。この泉は知床の山々の麓からの伏流水で、その数80か所に及びます。地熱の影響を受けている湧き水は真冬でも凍ることがないため、人々はこの水を求め、泉の近くに竪穴住居を築きました。

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発掘された伊茶仁カリカリウス遺跡の竪穴(提供:標津町教育委員会)

冬でも凍らない泉は、鮭の仲間にとっても産卵床として重要です。人々は泉近くに住居を構えれば、水だけでなく、越冬の保存食として貴重な鮭も、同時に手に入れることができたのです。その証拠に、標津遺跡群を発掘すると、あらゆる時代の竪穴から多量のサケ科魚類の骨が見つかります。これまでの調査研究により、標津遺跡群には、毎年秋鮭の時期になると人々が集まり、ここで鮭漁をしながら共同生活していたことがわかってきました。

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冬でも凍結しない湧水の泉(提供:標津町教育委員会)

標津遺跡群に集まった人々がやってきた場所は、根室海峡沿岸一帯の河川河口付近をみるとわかります。海峡に注ぐ河川河口付近には、大小様々な規模の違いはありますが、ほぼすべての河川で竪穴群やチャシ跡がみつかります。根室市の「西月ヶ岡遺跡」もその一つで、ここには擦文時代の竪穴住居跡の窪みが約300か所確認されています。

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西月ヶ岡遺跡(提供:根室市教育委員会)

02-2-残雪で竪穴の窪みがわかる伊茶仁カリカリウス遺跡(提供_標津町教育委員会)-min

残雪で竪穴の窪みがわかる伊茶仁カリカリウス遺跡(提供:標津町教育委員会)

02-3-伊茶仁カリカリウス遺跡の竪穴跡を掘った状態(提供_標津町教育委員会)-min

発掘された伊茶仁カリカリウス遺跡の竪穴(提供:標津町教育委員会)

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冬でも凍結しない湧水の泉(提供:標津町教育委員会)

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西月ヶ岡遺跡(提供:根室市教育委員会)